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市指定遺跡新竹都城隍廟

*新竹都城隍廟
*市指定遺跡
*新竹市中山路75号
 
歴史と変遷
  城隍信仰は自然崇拝から始まった物で、「城」は城壁を意味し「隍」は堀を意味します。それが城を守る神に変わってゆき、政府にも民間にも広く祀られるようになったのです。城隍爺の身分は県長や市長と言ったところで、無縁仏の供養(あの世の)の統括・表に出せない民の苦悩の査察・所轄地域の管轄といった権限と職責が与えられています。この世の行政機構を反映しているため、当該地域の格により省城隍・府城隍・県城隍に格付けされています。かつてより、新任地に入った行政長官は必ずこの城隍を参拝してから着任するしきたりがあり、大変重視されていることがわかります。
 
  城隍廟は1748(乾隆13)年に建立されました。淡水の同知(当時の官吏)である曽曰瑛が建立と官祀(政府当局が管理)を提唱し庁城隍―霊佑侯に位置付けられました。光緒元年になると、台北に府が設けられ、その府が一時的に新竹に置かれたことから県城隍から府城隍―威霊公に昇格したのです。当時は参拝者が後を絶たず、北港媽祖廟より美しかったため、「新竹の城隍爺、北港の媽祖婆」と讃えられたものです。1885(光緒11)年、台湾は正式に省を設け、劉銘伝が初代巡撫(当時の地方官吏の1つ)となり台中に省都を置いたのですが、巡撫の役所は台北にあり、結局この問題は解決されませんでした。1887(光緒13)年、雨乞いの霊験があらたかなことから「金門保障」の額を受領し、この廟は重要文化財の1つとなりました。翌年台湾全土の官民が新竹城隍廟で護国加護・厄除け祈願の神事を行い、これが全省を挙げての神事だったことから新竹城隍は崇高な地位を確立したのです。そして「晋封威霊公・新竹県城隍」と改め、全台湾で最高の神格を持つ城隍爺となりました。
 
建物の特色
  城隍廟の建築構造は一般の廟と殆ど変わりませんが、その役割の違いから廟内の雰囲気も大きく違っています。普段、廟内は薄暗く刑具がずらっと並び、対になった書には人々への警告が書かれているのです。廟内に踏み入ると背筋がゾッとします。薄暗く不気味な空間は、あの世とこの世を威嚇し善悪を諭す効果満点。並んだ神仏像の上、城隍は殿堂の上部に鎮座し顔色ひとつ変えずに凛然と見下ろしています;文判・武判が両脇に控え、文判の手には朱の筆と閻魔帳が、それとは対照的に武判は怒りの形相で剣を構えた姿をしています;両側に安置された部下、罰悪司・速報司・増禄司・糾察司・楽善司・延寿司の六司が各々能力を発揮し職責を果たすので、城隍爺の澄んだ瞳はこの世の全ての所業をお見通し;中央に配された董排爺と李排爺は悪人の尻を打ち据える刑罰執行人;更に前面の両側に配された喜・怒・哀・楽の四捕り手もまた城隍爺の有能な助手です。入口の両側に並ぶ七爺・八爺、一黒一白、大口開き・長舌出しの容貌が更に恐怖をかき立てます;廟内の上部に掛けられたそろばんもこの世の善悪・是非の計量を象徴しています。真理に照らされて、どんな悪人も隠れることはできず、腹黒い者は役人にはなれても廟の中には入れないということです。
 
  上述した神仏像・器物・対の書・額の他、建物本体が三殿式となっています。中には2つの中庭があり、その両側に渡り廊下が繋がって正方形の構造をしています。各部分の指し物装飾はどれも大変凝った作りです。門の前にある石獅子とその他の彫刻はどれも芸術的価値のあるもので、龍柱は台北の名匠である辛阿救の作品です。精巧に彫られた細工はまるで生きているかのよう;特に一見の価値があるのは、表門の上方にある八卦飾りの藻井(中国建築の飾り天井)。これは1924年に城隍廟が修築された時、泉洲恵安から招いた巨匠王益順が中心となって造った作品です。今ではお香の煙に燻されて黒ずんでしまいましたが、精巧な細工を覆い隠すことなく木彫りの素晴らしさを見せています。
 
  また、城隍廟の後殿に祀られているのが城隍婦人。ヒューマナイズされた一面を見て取ることができます。ここには長男次男も共に祀られており、台湾で唯一跡継ぎのある城隍爺となっています。
 
祭り・行事
  悪人の尻を打ち据える排爺;更に前面の両側に配された喜・怒・哀・楽の四捕り手もまた城隍爺の有能な助手です。入口の両側に並ぶ七爺・八爺、一黒一白、大口開き・長舌出しの容貌が更に恐怖をかき立てます;廟内の上部に掛けられたそろばんもこの世の善悪・是非の計量を象徴しています。真理に照らされて、どんな悪人も隠れることはできず、腹黒い者は役人にはなれても廟に入ることはできないのです。
 
  上述した神仏像・器物・対の書・額の他、建物本体が三殿式となっていて、中には2つの吹き抜け空間があり、その両側には渡り廊下が繋がった正方形の構造をしています。各部分の指し物装飾はどれも大変凝った造りをしています。門の前にある石獅子とその他の彫刻はどれも芸術的価値のあるもので、龍柱は台北の名匠である辛阿救の作品で、精巧に彫られた細工はまるで生きているかのよう;特に一見の価値があるのは、表門の上方にある八卦飾りの藻井(中国建築の飾り天井)。これは1924年に城隍廟が修築された時、泉洲恵安から招いた巨匠王益順が中心となって建造した作品です。今ではお香の煙に燻されて黒ずんでしまいましたが、精巧な細工を覆い隠すことなく木彫りの素晴らしさを見せています。
 
  また、城隍廟の後殿に祀られているのが城隍婦人で、そのヒューマナイズされた一面を見て取ることができます。ここには長男次男も共に祀られており、台湾で唯一跡継ぎのある城隍爺となっています。
 
  毎年元宵節(旧暦小正月)には城隍廟にたくさんの飾り灯篭が飾られます。現在は更に北門街と長和宮が一列に繋がり、新竹市の元宵を更に魅力的にしています。しかし城隍廟で最も賑やかな祭典は旧暦7月の迎城隍なのです。旧暦7月1日から始まり8月1日まで、東門市場の「東門普」が最後を締めくくるまで続きます。この期間は毎晩のように八家将(民俗舞踊)が街を練り歩きとても賑やか。旧暦7月1日は城隍爺の部下「陰陽司公」が鄭氏家廟付近の北壇に鎮座され、更に「夯枷」と言う儀式が執り行われます。いわゆる夯枷とは、信徒が紙で出来た首かせをつけて罪人となり、北壇まで陰陽司公について行き懺悔をします。災難除け、厄払いをし来年の無事を祈る儀式です。旧暦7月15日の中元節に最高潮を迎え、城隍爺ご本尊が巡回して無縁仏の魂を救済するのです。巡回の隊列は数kmに及ぶため新竹市全体が沸き返ります。11月29日の城隍爺生誕日には廟が人で溢れかえり大変な盛り上がりです。
来場者数:6781 人は、日付:2016-07-05