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市指定遺跡楊氏節孝坊

*楊氏節孝坊
*市指定遺跡
*新竹市石坊街4号そば
 
歴史と変遷
  楊氏は本名を楊居娘といい、竹塹人である林熾の妻だった人です。24歳で寡婦となり、父親代わりとして息子を育て上げ、貞節を守ること21年、45歳でなくなりました。息子の德修は、監生となり軍功六品銜を授かり、孫の元会は、諸生となった。楊氏は堅く貞節を守り、母と師を兼ね、遺児を育て親に孝行し、なんども殉死を試みたその貞節は、当時の人々を非常に感動させました。辛酸を嘗めましたが、最後にはその対価として、1819 (嘉慶24) 年に閩浙総督であった董教増や福建巡撫の史致光などから坊建設の許可を得、1824 (道光4) 年に坊が作られました。これは新竹で最も古い節孝坊です。
 
  節孝坊の明間の柱の聯句は「苦雨淒風、未悔當年九死」「黃章紫誥、共欽此節千秋」、次間の柱の聯句は「問視椿萱、婦能代子」「栽培桂樹、母可兼師」と苦しみに耐える様子と子を育てあげた様子が刻まれ、楊氏の当時の苦しみや何度も夫の後を追おうと自殺を試みたが死ねず、夫の母親と子供を抱え、さらに教育の責を負い、後の人々の尊敬を集めたことをしるしています。
 
旌表(せいひょう)の意義と条件
  いわゆる旌表制度は、中国伝統社会で公的に倫理観や社会教育、風俗文化を維持するために忠孝や礼節、善行をした人々をたたえるために定められた方法です。旌表の内容には計9種類に分けられ、そのうち貞節と孝行は、孝子、節婦、烈婦、貞女などの行いにあたります。節孝坊建立の目的は、婦女の貞節の功績や中国の婦女の美徳をたたえ、一般の民衆に知らしめるのに有効な方法であり、それによって風紀を守る制度なのです。現代の価値観ではあまり価値がないことですが、当時は女性の人生において最優先の原則であり、そのため節孝坊は記念的な価値だけでなく、時代の価値観を反映した教育的意義を持つものなのです。
 
  節孝旌表の条件は時代によって異なり、清代のものはほぼ明代の制度を踏襲したもので、大清會典を根拠とし、節婦は、30歳より前から50歳まで貞節を守るか、50歳ならずして亡くなった者。ただし、貞節を15年以上守り続けた者が旌表を許可された。
 
  当時、もし旌表を受けると、地方政府から30両の石坊建築費の補助が出た。ただ、この額は坊建設するにはかなり足りなかったため、旌表を受けた人は多かったが、石坊を建てる者は稀だった。
 
建物の特色
  石坊の最大の意義は、節孝の功績をたたえることにあり、これは非常に栄誉のあることでした。そのため、多くは人々が往来する道に作られました。楊氏節孝坊は、新竹城(町)の西門付近にある石坊街にあり、早くは西門往来の主要な場所にあり、城外から城内へ入る際にこの石坊を見ることができます。
 
  構造面では、楊氏節孝坊は、四柱三間三層の石坊で、泉州の花崗岩と青斗石で作られており、坊柱の間はほぞで連結されています。最上層は双龍が聖旨牌を囲み、中層の額枋の間には、石の「天旌節孝」と書かれた額があり、これが皇帝の批准により節孝の功績をたたえるものであることを示しています。下層の石額はその節孝の功績が記されています。石柱の下段は地面に達し、基礎石で挟んで固定し、倒れないようにしてあります。柱の間の水平の梁はほぞ構造で組み立てられ、石灰などで接着されておらず、古人の石加工の精密さを見ることができます。
 
  彫刻装飾面では、上下に分けて見ることができます。2つの鴟尾、ひさし、聖旨牌、4つの獅子があり、中枋は「蘇武牧羊」の節と「乳姑不怠」の孝の節孝坊の主要な物語が刻まれ、その他に蓮、葵、山茶花、蘭などの「四逸」をテーマにした彫刻や龍馬、玄武、双龍が宝珠を争う彫刻など各部分で生き生きとした造詣がなされています。構図もバランスが良く、芸術的価値があります。また柱の聯句と額枋の文字は、楊氏の苦労と偉大さを表すと同時に書道彫刻芸術の価値があります。
 
  石坊の表と裏の区別は、通常明間の大枋の中央に双龍が宝珠を争う面が表、双鳳の吉祥図案が裏で、一般的には表面が外に向いています。ですが、現在西大路から石坊街に入って見えるのは実は節孝坊の裏側です。石坊の位置から初期の住民の活動ルートがわかります。さらにこの道の入り口の一番よく見える場所にシンボルとして配置しており、この道が坊があることによってこの名前で呼ばれていることは非常に意義があることなのです。
来場者数:6733 人は、日付:2016-07-05