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新竹市政府

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市指定遺跡新竹市役所

*新竹市役所
*市指定遺跡
*新竹市中央路116号
 
歴史と変遷
  日本統治時代、新竹地区の行政区画は度々変更されてきました。中でも1901(明治34)年に新竹庁が設立され、更にその下に街庄を置いたのは大きな出来事でした。1920(大正9)年、日本政府は台湾で「市街庄制」を施行。新竹市は新竹州新竹郡に属し、州の下に郡役所・街役場を設けて地方自治機構を構築しました。新竹市の行政等級は「新竹街」であり、その執務庁舎が新竹街役場と呼ばれました。現在の郷鎮役場に相当します。1930年、新竹の人口は増加し政治経済に於ける立場もどんどん重要になってきたため新竹市に昇格し、役場として新竹市役所が設置されました。
 
  新竹市に昇格した時に建物も竣工し新竹市の市役所として機能し始めました。行政の中心的役割を果たし始めたのです。光復(日本統治からの開放)後は国民党新竹市党部が使用していましたが後に新竹市政府へ引き渡され北区戸政事務所になりました。
 
建物の特色
  新竹市役所は一棟二階建てのレンガ造りで、東洋の味わいを持った近代建築物です。その特徴は日本の伝統的建築による屋根と西洋の近代建築による本体、それに和風装飾を施されているという点です。つまり日本の古典建築と西洋の近代建築が融合した建築物なのです。1930年代軍国主義の拡大に伴い、官公庁の建築物は権威を示す道具として多く利用されました。
 
  私たちは古い写真から新竹市役所が寄棟造りの屋根であり、日本の屋根瓦を使っていること、屋根の上に二つの天窓があることを知りました。この天窓の形状は日本建築の釣鐘型花頭窓を模したもので、まさに和の雰囲気です。建物全体を上から見ると長方形で、入口が中央に位置しアーチ型のポルチコが突き出ています。中央上部にはキーストーンとブーケが権威の象徴としてつけられています。出入りの利便性を考え中央入口の両側にもそれぞれ1つずつ弓型の庇のついたアーチ型の入口が設けられています。
 
  正面には中央に突き出したポルチコの他、赤レンガの壁面に長方形の直立窓があり、上部には石材風加工処理を施した帯状の水平装飾が施されています。赤と白のコントラストが建物全体を優雅に見せています。また儀礼性を強調するため、設計者は正面の壁面に三ヶ所の飛び出した部分を造りました。屋根もそれに合わせて立体に設計され、遠くから眺めると塔が3基ついているように見えます。中央のポルチコと併せて市役所に近づいた人々に威圧感を与えています。
来場者数:15871 人は、日付:2016-07-05