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市指定遺跡新竹金山寺

*新竹金山寺
*市指定遺跡
*新竹市金山路201号
 
歴史と変遷
  第3期サイエンスパーク付近は以前、金山面と呼ばれていました。竹東丘陵の北の裾野に位置し、頭前渓の南岸の高所にある広い河岸段丘面にあります。その東南に「金」の文字の形をした孤立した丘があり、その集落が「金」字の「山」の下の河岸段丘にあったことから金山面と呼ばれました。200年以上前は一面荒れ地でしたが、1783(乾隆48)年以降、林合成墾号(政府から許可を受けた開墾組合)が小作農を集めて田畑として開墾されました。現在の姿とは全く異なる姿でした。
 
  金山寺は観音菩薩と仏陀を祀っていますが、これは、林合成墾号が小作農を募って開墾し、先住民からの予防線を設けた際、開墾者たちから守護神として祀られたものです。1852(咸豊2)年、開墾者の首領である郭家が土地を寄進して庵を建てて仏を祀り「香蓮庵」と名付けられました。1857(咸豊7)年に正式に寺院となりました。その地に泉があり、心が洗われるので多くの詩人や文士がここで茶を味わっていたことから「霊泉試茗」と呼ばれ、「霊泉寺」と改称しました。
 
  1889(光緒15)年の時、林汝梅らが出資して廟を再建し「長清禅寺」と名付けました。後に金山面にあることから「金山寺」と改称しました。日本統治時代、抗日義軍がこの寺を拠点にしていたことから日本軍による焼打ちに遭いましたが、1896年に楊標鳩の資金によって再建され、釈迦、阿弥陀仏、註生娘娘などが追加して祀られ、地元の寺廟となりました。現在正殿がほぼ完全に保存されている他、その他の部分の多くは修築または増築されたものでその古めかしい特色は多少失われています。しかし、本寺は台湾の科学技術の重要地である新竹サイエンスパーク内にあり、文化保存の意義を大いに具えています。
 
建物の特色
  金山寺は清朝中期の建物であり、現存する間取りは単進三開間で左右に護龍を擁する合院型の寺廟です。その正面横幅は約30メートル、縦の奥行は約15メートルで正面の幅は奥行きの2倍あり、完全な幾何学図形のの比率を表しています。立面上においても幾何学図形の比率関係を呈していることから特に安定し、調和がとれた姿となっています。
 
  空間的には正殿を中心として両側を過水廊と護龍で繋いてシンメトリー配置となっています。正殿、過水、護龍が囲んで小さな中庭を形成し、通気性と採光の問題を解決しているだけではなく、同時に寺を静かでゆったりとした屋外の休憩空間にもしています。本寺は特に保護龍後方に翼房が増築されています。この片方に傾いた屋根は護龍の妻側に設けられ、全体の平面がH字形となり、全体の空間もまた虚実が見え隠れして豊富なものとなっています。
 
  金山寺の正殿は構造上において一般のまぐさ式構造を採用せず、レンガ柱で木の梁を支えています。木の梁に土藁レンガが重ねられて家屋の骨組みの荷重を引き受ける木製梁と積み重ねたレンガの構造となっており、建物全体は質朴さが目立っています。特に中央部分は職人がレンガの積み重ねで形作った高窓があり、これは重量を軽減しながら変化を加えるという職人技がうまく表れた技術です。
 
   金山寺の建物の装飾は華やかではなく、質朴です。木彫りの手法は簡潔で古めかしさの美があります。石の彫刻では、その石材と彫刻の技はいずれもこだわりのあるもので、特に石獅子の姿は活き活きとしており、比率も完璧で良作といえます。歩口廊前には供物を具える台(布施台)があります。これは身寄りのない霊魂に布施をするためのもので特別な意義があります。これは1860(咸豊10)年の作品であり、不明瞭になった浮彫が古風で飾り気のない味わいを際立たせています。
来場者数:6331 人は、日付:2016-07-05