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市指定遺跡吉利第

*吉利第
*市指定遺跡
*新竹市北門街173号
 
  鄭氏は、中国大陸福建省の浯江から台湾に渡って来た一族です。福建省と台湾の両方にある鄭氏家廟の建築と典礼の変遷を見ると、ここ100年間の大陸と台湾の間の価値観の歴史の跡を辿ることができます。これは興味が尽きない、深淵な文化の航跡であり、清朝の時代に福建省南部から移民してきた人々の典型的な歴史の証しでもあります。
 
  清の道光参年(1823)、鄭用錫は科挙試験の殿試で109番目の進士となりました。こうして台湾籍で最初の進士となった鄭は、「開台進士」、「開台黄甲」と呼ばれるようになりました。その後、鄭が官職を辞して故郷に建てた住居は「進士第」と呼ばれました。「春官」という名称は、鄭が進士に及第し、礼部に任職したことに由来しています。「進士第」と「春官第」はその時代の地位の象徴であり、同時に北門の鄭家を代表する名称でもありました。このように、鄭氏一族の模範は、中国近世の商人子第が勉学に励み仕官して「名を成す」励みを与えるものとなりました。当時、住居と商号は密接な関係を持っており、「商人かつ士族」であった鄭家にとって、「吉利」という字句は重要な意味を持つものでした。
 
  「吉利第」は進士第の建築群であり、春官第と鄭氏家廟に隣接しています。鄭用錫が官職を辞して故郷に帰った後の十余年間にわたり、既にあった建造物を改造して順次完成させたものです。当時の建築方法によれば、居住の必要に応じて新たな居住区を建て増すのが一般的でしたが、この進士第建築群は、地理的条件の制約を受け、自由な拡張ができませんでした。またかつての北門街は人通りの多い繁華街だったこともあり、進士第建築群は、順次、様々な要素を考慮して建てられることになりました。またその使用目的も他とは異なっていたため、部屋数を多くした形の建築となりました。このように、それぞれの時期に建てられた建造物は深い文化的背景を持っています。これらの建築は、これまでずっと北門の鄭家の歴史を見守り、付近の人間模様と、当時「竹塹」と呼ばれた新竹の文化と発展の歴史の証人ともなっています。その建築構造、建材、形式はすべて当時の建築の特色と風格を残しているのです。
来場者数:6459 人は、日付:2016-07-05