春官第

*春官第
*市指定遺跡
*新竹市北門街167号
 
  鄭氏は浯江から台湾に渡って成功しました。二か所の鄭家の廟の建築と祭祀の重心の移転は100年近い中国大陸と台湾との間における移民の価値の傾向を反映しています。そこに含まれる文化的現象の意義は深く、おろそかにすることはできません。この過程は基本的に清朝時代における閩南移民史の典型的な例証です。
 
  道光三年(1823)、鄭用錫は殿試で第109名の進士となり、台湾籍定員における進士の第一人者となり「開台進士」、「開台黄甲」と呼ばれています。そして官職を辞して故郷に帰り、構えた住居が「進士第」です。科挙に合格して礼部に勤めていたことが「春官」の文字の由来です。また、進士第、春官第はかつても身分と地位の象徴であり、北門の鄭家を代表しています。さらに鄭氏一族は中国の近代商人として子弟に学問を修めて仕官することを奨励し、功名を挙げることの一つとしました。住宅と商家は本来不可分であることから、このような「商人、知識人」家族の地位において「吉祥」はおろそかにできないものでした。
 
  進士第およびその周辺の建物は建築されてから今日まで200年近くが経過しており、新竹地区と台湾全土の発展過程にとって重要な地位を占めています。歴史的または建築的角度から観察しても、いずれも極めて価値のある文化資産です。
 
  「春官第」の山門外の広場の地表は花崗岩で舗装されており、その縁は花崗岩が組み立てられてできています。前庁の明間の外壁は花崗岩でできています。棚底部の脚は蛟虎が脚を飲み込み、壁面に頭部が収められています。壁裾には彫刻を施さず、壁面は正面立面とし、左右は「麒麟回首」の彫刻となっています。次の間の外壁は花崗岩を基台としてその上にレンガを斗子組みして柱は燕尾レンガで組まれています。前庁の建築様式は簡単な三川脊屋造りで、主に仰合瓦の葺き方となっています。現在の屋根には交趾焼きや泥塑などの装飾がありませんがこれは風化や破損によるものだと思われます。屋根平面の跳ね上がりの曲がり具合は緩やかで軒先も高くないため、その正面立面は特に広さが目立ちます。後落庁の屋根は硬山単脊形式で、筒板瓦に覆われ、屋根は線文様のレンガで装飾され、垂脊には装飾がありません。その大木による構造と細部部品の形状には泉州同安建築の様式が反映されています。
来場者数:15138 人は、日付:2016-07-05