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歴史と変遷 |
新竹中学校は1922(大正11)年に創立しました。当初は新竹第一公学校校舎を一時的に借用して学生を募集しました。後に東門外の新築校舎に移転し、1925(大正14)年に十八尖山山腹の新校舎に移転しました。これが今日の新竹中学校です。
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新竹中学校の初代校長は大木俊九郎です。初期の植民地政府は台湾における教育差別について差別的な心理状態の下にありましたが、大木校長は多くの人々の考えを退けて一視同仁の方針を主張したのです。これがいわゆる「内台一致(当時は日本本土の事を内地と呼んでいた)」であり、徳、智、体の三育をもって学校の信条として日台の和睦と融合を実現しようとしたものでした。これは当時の教育環境においてはたいへん異質なものでした。大木校長は剛直で厳しく、質実剛健という教育理念を許徴していました。大木校長は剣道についてたいへん造詣が深く、学生が強靭な心身を鍛えることを強く主張し、また修身も重視したことから、1926(昭和元)年に武道場を設けて体育館として使用すると同時に剣道の稽古場として利用しました。後に新竹中学校の剣道チームは全台湾にその名を知られたこともあり、武道場は通称剣道館と呼ばれています。
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新竹中学剣道館は無数の子どもの夢と記憶であふれています。かつてここで市内を振っていた少年の多くに今日各界におけるエリートたちがいます。中央研究院の李遠哲院長もかつてここで素晴らしい少年時代を過ごしました。新竹高校は一度音楽館建設のために剣道館を取り壊そうとしましたが、校友たちがあちこちに陳情して市指定の旧跡となり、ついに保存されることが決定しました。現在は学生の活動センターとなっています。
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建物の特色 |
新竹中学の剣道館は新竹中学校運動場のそばにあるレンガ造りの木造かわら屋根の建物です。その造りは特殊で、十分に特色を具えています。また台湾に現存する武道館で唯一洋風の建築様式を採用している建物でもあります。この建物は大きいものではなく、平面は長方形で壁面は清水煉瓦を重ねてその構造を強化しています。壁の外側は控え壁が施工されており、屋根の重みは外側に突出したレンガの柱によって地面に伝えられており、鉄筋コンクリートを全く使用していない赤レンガ建築物を70年以上にわたって幾多もの自然災害から完璧に守っています。レンガ柱が屋根の重みを支えていることからレンガ柱の間の壁面は大きな窓を設けることができ、通気と採光の目的を実現しています。同時に高くそびえる屋根のため、熱い空気を上昇させて館内の温度を下げています。
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剣道館の屋根は最も特色を具えた部分で、屋根の骨組みには上等のヒノキや杉材が使われており、木造梁構造で屋根の重みを支えています。屋根はマンサード屋根で妻側が尖った峰の形状をしており、一般の建物と異なって高くそびえる雰囲気を創り出しています。剣道館の建築設計と施工の品質は極めて高く、さらにその独特のスタイルで、典雅な味わいを醸し出しています。現在屋根は波形鋼板に変わっていますが、それでも全体の感覚は残されています。
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夕方になると、夕焼けがアーチ形の窓に照り映え、学生たちが館内で課外活動をしているのが見えます。適切な大きさ、親しみのある空間感覚、歴史は無形のうちに受け継がれています。ここで社会のリーダーが多く生み出されていることが分かります。 |