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*旧港の運航標識
*市指定遺跡
*新竹市竹港段244地号
 
  旧港は、清代に新竹市街から近いため、新竹の重要な貨物取扱港であり、竹塹港と呼ばれていました。1803年(清の嘉慶8年)洪水で港が埋まってしまったため、商人らは資金を集めて南寮に竹塹新港を開港しようと提案した。時を経て新港が土砂で塞がれてしまい、古い港を使用する際に「旧港」と呼んだ。これが竹塹港を旧港と呼ぶ所以だが、住民らが自然による問題を克服すべく奮闘し、雍正年間から北港(竹塹港)を開き、河川の土砂堆積により、航路が定まらず、竹塹の商人らが「昼は目印に従って進み、夜は松明を目印」として、なんとか港の機能を維持していた。当時、同安出身の陳周が旧港に定住後、航路の表示灯を設置し、点灯を担当し、夜は光を絶やさぬように努め、船舶の安全な運航を確保した。咸豊初年に土地の人々は、彼の善行をたたえ、「周伯公祠」を建て、「皇清小哨周陳公諱周神位」を拝んだ。嘉慶20年に旧港が再び開港してからは、港の岩礁に南標・北標・中標の標識を建て、船舶の通行を助け、再び土砂の堆積に対処し、可能な限り運行をスムーズに保ったことにより竹塹の主要輸出港としての役割を維持し、竹塹は以前の様に栄えた。しかし、1840年(道光20年)になると、船舶の進入は水深の関係で制限され、大きな商船が入れなくなった。また、長期の使用により港は経年劣化の問題を解決できず、貿易機能は次第に萎縮していった。1929年(昭和4年)前後に、利用価値がほぼなくなり、1932年(昭和7年)に廃港となった。
来場者数:7863 人は、日付:2016-07-05