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新竹市政府

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市指定遺跡新竹水道の水源地

*新竹水道の水源地
*市指定遺跡
*新竹市博愛街1号
 
  清朝時代の台湾では井戸や湧き水を飲料水として使用していました。日本による台湾統治が始まり従来の習慣が変わっていったのです。日本統治時代の初期、日本人の管理の下、初めて大規模な台湾の衛生設備工事が行われました。当時の民生長官であった後藤新平が東京帝国大学のバーデンを呼び寄せ総督府衛生工事技師を任せました。彼は弟子である濱野彌四郎を率いて調査、設計を行い、淡水・基隆・台北の水道を次々と建設したのです。新竹街は日本統治時代に市街区が整備されたことにより、工商業が日に日に栄えてゆきました。生活用水の整備と衛生環境の悪さを鑑み、台湾総督府が1914(大正3)年に新竹街の水道建設計画を立ち上げましたが、その後経費の問題により1925(大正14)年6月27日になってやっと、新竹街役場主管の工事が総督府の許可により行われることとなりました。同年7月4日着工、1929(昭和4)年3月15日に竣工、通水されました。新竹街を中心とした中規模(1万人~4万人)水道として、当時は8千2百余世帯、3万7千余人へ水を供給していました。
 
  「新竹水道」の記録によれば、水源は十八尖山の中腹、標高240尺に位置しています。取水口はそこから南へ約109m、総面積は32739坪あり、そこには分水井・沈殿池・沈殿井・ろ過池・ろ過井・浄水池・量水器室・砂洗場・事務所・倉庫・宿舎なども建設されました。産業施設に分類される水道建造物は空間の効率的使用が重視されます。内部空間をいかに機能的で整然と活用するかということに気を配るのです。水源地で現在指定されている遺跡本体は次の5つに分類されます:分水井・沈殿井・ろ過井・浄水池・量水器室。現在は水道会社第三区管理所により管理運営され、外部への公開はしていません。分水井は円筒状の鉄筋コンクリート造り;沈殿井は鉄筋コンクリートの円筒状の井戸;ろ過井は建造物の上方がレンガ造りの平屋建て、中には3つの調整機が備えられており、流量とろ過池のろ過速度を調整しています。外壁は砂利洗い出し仕上げと日本式のカラフルなタイルを使った表情豊かなニュークラシックの装飾が施されています;浄水池は長方形の独立池で、メインとなる入口がコーナーにあるため通路を確保した片側設計。内部構造は整備されていて、池Vには5面の導流壁があり、密閉空間での水流を確保しています。入口と後方の洗い出し仕上げの砂利壁、そしてオープンモールド工法による装飾が充実した装飾主義による造形を表現しています;量水器室はレンガ造りの平屋建てで、室内に設置されている水道水流量計はイギリスのメーカー製、ベンチュリ計と呼ばれる物です。
来場者数:16321 人は、日付:2016-07-05