李錫金孝子坊

*李錫金孝子坊
*市指定遺跡
*新竹市明湖路486巷そば
 
歴史と変遷
  南大路から青草湖への道の途中に石坊が道端に立っています。大きく「孝子」の2文字が書いてあり、これは台湾でもわずかしかない孝子坊、李錫金孝子坊です。李錫金は、1786(乾隆51)年生まれで、淡水庁志の記載によれば、「李錫金、字は謙光、竹塹の人、本籍は晋江。年14にして台湾に渡り、ある商家に雇われた。風雨のたびに主人に泣いて長期分の給金を願い出て、親のために塚を直そうとした。主人はこれを聞き入れた。しばらくして、兄弟と商売を営んだが、兄は早くに亡くなり、その子の面倒見た。咸豊の時に、艋舺の区分けで、謝罪し続け、綏安のために尽力し、多くその力を得た。」とあり、その人への対応や孝行、公共事業への熱心さなどを知ることができ、さらに漳泉の争いがし烈になった際に多くの人を助けた。そって、その孝行の功績がよく伝えられるようになり、国学生となり、後に奉直大夫に奉じられた。李錫金は、1865(同治4)年になくなった。享年80歳、息子10人と娘2人がいた。
 
  昔建立された牌坊は、儒学や世論、地方官題報などによるものが多く、中央が批准を得ないと建てることができなかった。李錫金孝子坊は1879(光緒5)年に当時の新竹県廩生である林鵬霄などが彼の孝行の内容を詳細にまとめ、その孝行・義行に対し牌坊を建てたたえようとした。
 
  1882(光緒8)年新竹県城北門外の湳子莊に李錫金孝子坊を建てた。1961年まで牌坊は長く修復されず、荒れた場所で倒れそうになっていた。李錫金の子孫が資金を集め牌坊を青草湖付近の現在の場所に移した。
 
建物の特色
  李錫金孝子坊は、四柱三間三層の石坊です。いわゆる四柱三間三層とは、つまり石坊は4本の石柱によって構成され、その間を3人もしくは車が通れるようになっているので三間と言い、その上の水平橫枋が全部で3層ある。石坊の水平構造を枋と呼び、家の梁と似た役割をしており、各層は上に向かって組み合わされ、第3層は屋根となっていて、双龍に囲まれた聖旨碑をメインとして、上の橫枋にはひさしの形に彫刻され、その上には一対の鴟尾(しび)があり、中央には瓢箪が彫刻されています。石彫、真ん中の双の明間には、「孝子」の石額をメインに、石額の上の枋の端には瓢箪が彫刻されています。これはこの地の石坊の特徴のひとつで、枋と柱をほぞで連結しており、柱の先が桝の形になっており、その上に獅子が安置されています。下層には「李錫金坊」の石額が配置され、その両側に彫刻された青斗石の板があります。最下層の枋は最も太いため大枋と呼ばれ、これが主な彫刻の場となっており、明間の大枋の両側には龍の頭が彫られ、中段には双龍が宝珠を争う彫刻、背面の両側には龍の頭、中央には双鳳の吉祥図案が立体的に彫刻され、石彫の工芸上でかなりのレベルです。
 
  孝子坊の材質は、「泉州白」と呼ばれる泉州の花崗岩で、彫刻の額の材質は青斗石です。2種類の異なる色や質感を持つ材料を上手く組み合わせ、坊を挟んで固定する基礎石、瓢箪の形状をした抱鼓石、これがこの牌坊の大きな特徴です。その他、孝子坊の石柱には、対の聯句が彫ってあり、その孝行をたたえるとともに、文学と芸術的な価値を持っており、一見の価値があります。
来場者数:16039 人は、日付:2016-07-05