新竹鄭氏家廟

*新竹鄭氏家廟
*市指定遺跡
*新竹市北門街175号
 
歴史と変遷
  鄭氏は新竹の名門一族のひとつで、北門街に位置する鄭家は、竹塹浯江鄭氏の一族に属しています。3代目本家の鄭国周、四房の鄭国唐、五房の鄭国慶は、1720(康熙59)年から1760(乾隆25)年の間に、金門から台湾に移住し、最初は苗栗後龍の一帯に居を構え、乾隆末に竹塹に移り住みました。鄭家は北門街現史跡で発展し始め、最初は農業と漁業を生業としていました。1806(嘉慶11)年、4代目の鄭崇和と鄭崇科の一家も竹塹に移り住み、後に商いをすると共に学問を深め、後に鄭用錫が科挙で進士となったことから一族は益々繁栄し、鄭家は北台湾で有数の一族となりました。
 
  節道光年間には、鄭家は故郷を忘れぬためまず金門に家廟を建立しようと、1853(咸豊3)年、鄭用錫と従弟の鄭用鑑は話し合い、碩德・文美・文哲・文哺・文瑞・文理・文超・碩俊など八房が共同出資をし、北門街に鄭氏家廟を建立し、毎年上元節と冬至には、それぞれ祭祀を行うこととしました。
 
建物の特色
  鄭氏家廟の母屋は、両進三開式の単院建築で、前後の拝殿と両側の廂廊に囲まれ中央天井は、非常に端正な作りです。左側には小天井と単独の龍が配されており、一時住民らの会議の場として使われていました。右側は吉利第、春官第と進士第を繋ぎ、後方には一馬背式屋根の建物が連なっています。これらの建物すべてが鄭家の生活空間で構成されています。
 
  外観上、家廟の屋根は何重にも重なった燕尾屋根で、反りの角度とラインは大変優美で、門前には二対の旗台座があります。これは中試科挙の家にしかないもので、目を凝らしてみると、風化してはいるもののこの石には彫刻があるのがわかります。左側の石には龍が、右には虎が彫られていて、珍しい朴訥なデザインと、中国人が方位上、左に青龍、右に白虎の考え方を重視していたのがわかります。門前埕の八卦形のデザインは大変珍しく、他の建物ではあまり見られない作り方で、厳密に風水を鑑みてデザインされています。
 
  鄭氏家廟の前に立つと、立体の絶妙なバランスがわかります。幅と高さの比率は約2:1で、非常に安定しています。鉄の欄干の傍から見ると、入り口のホールの前のひさしの下には多くの芸術的価値を持つ、細工が細かい建築用材があります。例えば門の傍らの窓やひさしの装飾彫刻や梁や柱の彫刻など、当時の木彫師の技を見ることができます。両側の板壁には、特別な万字文様が刻まれています。文様が連続していることにご注目ください。一方には優美な唐草彫刻が施され、その細工の精緻なことがわかります。
彫刻では、一般家屋では見ることができない石鼓(抱鼓石ともいう)に多くの吉祥動物の彫刻が施されていますが、年月により風化していてその精緻な細工はやや見にくくなっています。
来場者数:15641 人は、日付:2016-07-05