新竹少年刑務所演武場

*新竹少年刑務所演武場
*市指定遺跡
*新竹市広州街20巷18・20号
 
  日本統治時代に台湾に設置された刑務所で、西洋の司法制度が台湾に導入されたことに伴い設けられた司法機構です。判決が確定した後、刑を執行する場所でした。日本統治当初は経済的理由から清の時代に使っていた建物を牢獄として多く使用していました。
 
  明治29年(1896)年日本人が台湾各地に13ヶ所の刑務所の設置を計画。「台北県新竹監獄署」もその1つです。明治32(1899)年に刑務所の整理統合・組織改革が行われ、少年刑務所の前身である台北県新竹監獄署は新竹少年監獄と改められました。後に刑罰の概念が変化したことで少年受刑者は一般成人受刑者と同一視されなくなり、1926(昭和元)年台湾総督府は新竹少年監獄を新竹少年刑務所と改め、当時としては最高等級の四大刑務所の1つとなりました。統治時代初期に日本人が住んでいた台北・台中・台南の3つの「県」以外で唯一建てられた刑務所で、未成年の受刑者のみを収容することから名付けられた台湾初の少年刑務所です。
 
  「武士道」とは日本伝統の民族文化で、柔道・剣道・弓道が含まれます。「武道場」は武道活動に提供される場所のことで、警察・刑務所・軍部にはどこも武道場が設けられています。刑務官が武道の練習をするため刑務所にも多くの武道場(演武場)が設置されました。新竹少年刑務所演武場は1935(昭和10)年8月28日に竣工。利用者の利便性を考慮して官舎エリア内に、柔・剣道用道場として建設されています。
 
  演武場の内部は武徳会武道場の建物をモデルに建てられましたが、外観と空間構成に於いては刑務所運営にかなりの融通性と多くの変化を持たせています。演武場は強化レンガ造りで入口のポルチコが切破風となっています。その特徴は切妻破風造りの屋根の両斜面に庇がついておりその長さが同じであるということ。建物本体はオーダー建築で、無地の面材に石灰モルタル・石膏ボード・セメントモルタルを塗っています。演武場内には、練習場/試合場・観覧席と選手控え室・神棚・通路などの移動用スペースがあり、付属施設(浴場・事務所・宿舎・倉庫)は演武場の左側に別に設けてあります。
来場者数:16520 人は、日付:2016-07-05