新竹信用組合

*新竹信用組合
*市指定遺跡
*新竹市大同路130号
 
歴史と変遷
  早期の民間資金の融通は「頼母子講」「無尽講」という形で行われていましたが、1899(明治32)年に台湾銀行新竹出張所の運栄開始とともに、新竹に新たな金融体系がもたらされることになりました。1909(明治42)年、新原龍太郎など四十八人は新原家で「新竹貯金会」を創設し、近隣の相互援助を目的として、一口五銭を毎日積み立てという形で蓄積を奨励しました。これは、協力の精神に基づいて富を築き、会員の資金運用に役立てることを目指していました。
 
  1913年(大正2年)には産業組合法ができ、貯金会が新竹信用組合に改編されました。新竹では台湾のどこよりも先に改編を行ったため、台湾最初の信用組合となりました。改編後の信用組合社員は日本人が主でしたが、1917年(大正6年)になると、台湾人の士紳である鄭雅詩などの加入が認められるようになりました。新竹信用組合の業務は日ごとに繁栄し、1934年(昭和9年)には大同路にビルを新設し、現在にまで至っています。中華民国の時代となり、新竹第一信用合作社となり、新竹でも重要な金融機関として機能しています。
 
建物の特色
  新竹信用組合ビルは1934年に完成しました。その設計者は不明ですが、建築請負業者は、河村仙十でした。同氏は、新竹の建設業者で、当時の少なからぬ重要建築物の建設を請け負っています。
 
  新竹信用組合ビルは参階建ての建築物で、交差点にあるため、入口は角になるように造られています。一階は、外来用オフィスで、二階から上は事務室となっています。全体は鉄筋コンクリートの造りになっており、一階は通路を残したアーケード式の建築で、外面に13列のタイルが貼られた質の高い建築となっています。
 
  新竹信用組合の外観を見ると、設計者はモダニズムの影響を受けていることがわかります。庇の連続を用いて水平のラインを作り出す手法は、専売局とよく似ています。しかし設計者は、古典建築のアーチ型窓も残しており、水平ラインが入口上方で突然終わるようにしており、入口を目立たせています。入口上方の大アーチの中に3つのアーチ型窓が組み込まれており、これがこの建築物の特色となっています。こうして信用組合は、新竹のランドマークとなったのです。
 
  新竹信用組合の建物は、古典建築とモダニズム建築の両方の風格を兼ね備え、シンプルな中にも精緻で、細部まで装飾性を凝らした優れた建造物となっています。
来場者数:15612 人は、日付:2016-07-05